レポート提出日 | : | 2002年10月23日 |
実験日 | : | 2001年11月下旬 |
レポート投稿者 | : | Matellias |
実験する気はなかったんですよ。むしろ不可抗力というべきか‥‥。
そんなある日、喉が痛いことに気がついたのです。
咳も出てます。
そのころ授業でラジオ制作をやっておりました(レポ109参照)ため、大事な喉を壊してはならぬと思い、家にあったいつのものかわからない「せき止め液」を飲みました。
こんな大事な時期、医者になんてかかってられません。
しかし…これが悪夢の始まりなのでした。
学校に着いた瞬間、強いめまいに襲われました。しかしそこは何とかこらえ、明日のラジオ放送に向けて準備せねばと、スタジオで作業をしました。
そして…、とうとう立ってられなくなりました。
学校を早退し家で寝ていましたが、一向に治る気配もなく、逆に熱は上がるし呼吸もできないしで、病院に運ばれてしまいました。
いきなりICUに入れられました。
血を採ると、血中の酸素が足りないためどす黒かったです。
お医者様によると、どうやら肺炎と喘息にセットでかかってしまい、その原因が長くほったらかした風邪と、あの、いつのものかわからない『せき止め液』だとのこと。
喘息はアレルギー由来の症状らしいのですが、まさに、私の身体は「せき止め液」に反応してしまったようです。
また、私は非常に危険な状態だったらしく、もう少し病院に来るのが遅かったら死んでいたかもらしいです。
初めてのICUです。
意識も朦朧でなにされたかもほとんど覚えていない感じなのですが、唯一覚えているのが、マスク・手袋・帽子・無菌服装着で迫りくるうちの家族です。
取り囲まれたときは手術室を連想させました。
今でも夢に見ます。
本当に怖かったんです(泣
一般病棟に移り、静かに療養していた私。ふと、あることを思い出します。
『卒業課題』
出さないとどんな理由があっても0点になる、恐怖の課題です。
試しに聞いてみました。延長してもらえないかと。
…結果はダメでした。
それから病室にパソコンを持ち込み、食事と診察以外の時間は全部それにつぎ込むということをやりました。
夜勤の看護婦さんが見回りに来るも、鬼気迫る私の表情に、午前3時ですら、
課題を進めてると、今度は出席日数の問題がでてきました。
すでに入院して20日くらい経っていました。しかし、完全に治らないことには退院することはできません。
1教科くらい落としたって大丈夫だろうとタカをくくってたら、なんと5教科スーパーリーチ状態!。
課題を出しても、そこで落としたらアウトです。留年の危機です。
無理を承知で外出届けをだし、学校に行きました。ついでに課題も出してきました。
その3日後、めでたく退院しました。
しかし、すぐ疲れますし筋力も落ちているので、元に戻るまでに3ヶ月かかりました。
入院当時、右5kg、左3kgまで落ちた握力も、すっかり戻りました。
それからというもの、風邪だけでなく身体の調子がおかしいときは、すぐ医者にかかるようになりました。
自分の命が危険にさらされたことでいい教訓になりました。
試したい人はどうぞ。
しかし、なにがあっても絶対責任はとりません。
数ヶ月前、虚血性大腸炎で入院したんだけど、腸を休めるために点滴打ってばっかりで、大した治療はしなかったなぁ‥‥。
ところで、卒業企画はやっぱりコレなん?
by 神楽坂博
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